Kamakura delay -43ページ目

書きたかったこと思い出した。

下のビールがどうとかそんなことはどうでもよくて
書こうと思ってたこと今思い出した。

フックを聴いた瞬間、「ビヨンセじゃん」と突っ込んでしまった
ジェニファーロペスの新譜。
やかましいサックスがとてもカッコいいのですが
それはさておき、なんか最近シンセのベタ使いが増えてきてる気がする。
流行といってしまえばそれまでなんだけど、
なんとなく懐かしいシビルとかあの辺のぎりぎりダサいシンセが
大好きな私としては嬉しい傾向。

ウタダさん辺りの次のトラック(早く出して欲しい)が楽しみ。

本日はジェニファーロペスとステファンマチューを垂れ流す。

食べても太らない設定

大のアルコール好きの私にも悩みがある。
この時間帯にお酒を飲んで飯を食うと確実に太るということだ。
しかし人生からアルコールを取ったらそれはアッティカブルース。

なので、いかにして太らずに酒を楽しむかを考えてみる。
ビールだ。
僕が普段飲むビールは発泡酒だ。お金ないし。
ギネスなんかを買ったときは、ちゃんと味を楽しむ。
が、正直発泡酒を飲んで味に感動したことはない。
あれは純粋に一口目の「ノド越し」を楽しむものだ。
しかも半分くらい飲んだらもう飽きる。
だからおつまみで味に変化をつけるのだ。
そうやって食うから太る。

だったら食わなきゃいいんじゃなかろうか?
はじめにノド越しとやらを楽しんだら、
ビールを口に運ぶ→吐きだす→口の中苦い→おつまみ口に運ぶ→吐き出す。
要は胃に入れなきゃいいんじゃなかろうか?
満たされない空腹感は炭酸水でも飲めばいい。
どうよ。



シルクのような肌の設定

楽器を演奏するということは、スポーツに近い。
例えるなら
「作曲」が、フォーメーションや戦術にあたり
「演奏」は、練習や実際の試合である。

スポーツで選手個人に求められるのは
徹底した基礎の反復練習、フィジカルトレーニング、コンディショニング
そしてチーム全体に求められるのは
戦術の共通理解と反復練習、自己犠牲と自己主張である。
それぞれを徹底的にこなした上で初めてようやく試合に臨めるのだ。
しかも勝つかどうかはやってみないとわからない。
だけど勝つためには最低限それだけのことはしなくてはならないという話。

これらをを音楽に置き換えてみると
これからの自分のとるべき行動がみえてくるとか思った。

音楽に関しては病的にミーハーで、
ヤバげな音はマイナメジャージャンル問わずなんでも食べる
超雑食リスナなので入ってくる情報量には心配はしていない。
あとは、それをどう消化して自分の文脈を構築できるか
そしてその最終的なアウトプット(このバンドにおいては)である
楽器を、いかにしてコントロールするか。
どの指のどの場所でどれくらいの力でどれだけ伸ばすか
フレットを押さえる左手の指もフレットのどこを押さえるのか
どうやって指を離すのか、その全てが音に確実に影響を与える。
いまだ達成ははるか彼方の話だが、指の動きをミリ単位で意識しないと
その先には進めそうにありません。

だから、本職ではない(お金を取って人に聴かせる機会のない)
ギター弾くときは適当に音楽の楽しい部分だけを味わえるから
楽しくてしょうがない。
マーヴィンゲイの弾き語り超楽しいよ。

今日は高柳昌行を爆音で一度だけ聴きました。
ノイズが消えた後に身辺の距離感が適切なサイズに戻ったカンジが
とても素敵でした。2周はできないけどね。

塾に通ってないのにテストの点がいつも高い設定

バンドを真剣にやるようになってから(といってもまだ半年だけれども)
困ることがいくつか出てきた。まあお金がないとかそういうのは
日々の生活が充実していればさほど気にはならないのだけれども、
何より痛いのは、本を読む時間が極端に減ったということ。
映画は今でも無理やり時間を作って、劇場には行けなくても
なんとか毎月10本程度は見るように心がけているのだが
小説は雑な読み方をしても、一冊につき4時間はかかるので
なかなかその時間が作れない。
寝る前に15分ほど、少しづつ読むとかそういった賢いマネができず
読み始めたら読了するまでは、トイレにも行かないタイプなので
かなり厄介な問題です。
本屋に寄ると、ああこれ読まなきゃって本がドンドン増えていってしまい
大変な出費になってしまうので最近いってないのですが
僕に金を持たせて、神保町に行かせたら平気で数万使います。あほです。

最近まともに読んだ本は、ダンローズの「ティモレオン」と
リンティルマンの「ブックストア」(どちらももはや古い)
wolfgangtillmansという写真家の作品集と
はじめの一歩、デスノートぐらい。活字に飢えてます。
今は蟹工船と椿姫が読みたいです。

本日はtahiti80の新譜と、ミルトンナシメントを聴いた思い出。
明日もスタジオがんばりましょう。
集中力とリラックス、シリアスとユーモア、占有と共有
バランスが肝心。redsledは演奏が固まればいいパフォーマンスが期待できそう

50m走のタイムが速い設定

最近、歌詞を作る面白さと難しさの意味が少しわかってきた。

もともと、まともに音楽製作を始めたときは
サンプラーやソフトシンセなどでエレクトロニカ的なオケを作って
その上に生演奏を乗せるといったインストバンドがきっかけだったので
正直、歌詞の存在を軽視していた。
言葉なんぞ無力、いかにいいメロディ鳴らして、いかにやばいリズムを組むか
そういった発想の方向性だった。
別にそれが良いとか悪いとかの話ではない。

時間がたち、奇跡的にメンバーに恵まれバンドを結成し
人に聴かせる、伝えたいことを込める、いい演奏をする、という
スノビッシュな昔の僕ならば保守的と切り捨てていたであろう要素。
そういう部分を強く意識するようになってから、
特に歌詞に目が向くようになった。

そして、これは本当に信じられないことなのだが
曲を作る際、今は歌詞から作り始めている。
言葉から音が導かれる、とか雑誌でインタビュー読んでて
んなわけねー。とずっと思っていた自分がまさかそうなるとは人生わからん。
人間、歳をとるとアウトプットしたくなるのだろうか。
吐き出したあとに、また別の、
その歳に見合った情報をインプットできればいいと思う。

本日はincredible string bandを聴いてました。

human being



およそ世界のありとあらゆるモノには必ず終りがある。
何か物事が始まるということは、言い換えれば終りの誕生である。
ならば始まるだけ無駄だと勘違いしてはいけない、
決して終わる為に始まるのではない。
あくまでも、なにかが始まったらそれはいつの日にか必ず終りを迎えるという
回避不可能な摂理がただ存在しているという話だ。

物事が始まり、そして終わる。

この一連の働きを総じて僕たちは「現象」と呼ぶ。
ここではその一連のプロセスの中で何が行われたかは問題ではない
「現象」があったかないか、0なのか1なのか、
始まって、終わるというパッケージその一点のみが
世界の要求する答えなのである。
だからこそ世界は矛盾を許容しない。
絶望的に完璧なシステムである。
誰が作ったかは知らないが多分神様系のキャラなのでしょうよ。

しかし、僕たちは(というかおそらく人間だけが)
現象のプロセスに恋をする。
0か1かが本質の問題に、中身を求める、あり方を求めるのだ。
始まりから終りまでの真ん中、その過程に僕らは愛着を持ってしまう
挙句、その過程こそに価値があるのだと錯覚する。
錯覚である。
何かがはじまり、ただ終わる。そこにしか物事の本質はない。
過程など終りを迎えた瞬間に全て吹き飛ぶ。0か1なのだ。
それでも人はそこに自らの存在価値を見出し、何かにつけて一喜一憂する。

それはひどく滑稽で、涙が出そうなほど美しい営みだと思う。

僕たちの生活とは、つまりはそういうことだ。
昨日の喜びも、今日の退屈も、未来の悲しみも、
誰かへの憎しみも、自分への怒りも、あなたへの愛も、
すべては本質ではない。本質でないからこそここに居られるのだ。
そして、僕たちには最強の武器「言葉」がある。
僕たちは自分の見た泡沫の夢の残像を他者に委ねることができる。
共有されたプロセスは単体の「現象」を越えて繋がる。
たとえ「現象」が「現象」として処理されたとしても
誰かに委譲された錯覚はきっと生き続けている。
本質を超えた錯覚はどこへ行くのだろう。

そしていつか人類がテクノロジーの極限、
つまり肉体的な死を超えた日には何をもって「現象」となるのだろう。
そして、終りがあったからこそ存在しえた錯覚は
終りを失ったときにどう変化するのだろう。
そして人が死を乗り越えた先の終りとは何なのだろう。
一体いつになったらガンダムができるんだろう。

などと考えているこの瞬間こそが人間なのです。


的なカンジの音を7.とは一切関係ないところでたまに作ったりしてたんですが
正直バンドの方が8000倍くらい面白いので今はバンドに集中。
今日はラファエルサディークばかり聴いてました。
朝になっちゃった、無念。

ロナウジーニョ

スマトラ沖地震チャリティマッチをTVでみる。
もともとバルサが好きでちょくちょく試合は見てるせいか
カンプノウにあのユニはちょっと違和感ありありだった。

まあそんなことはさておき、ロナウジーニョは本当にカッコいい男だ。
もちろん、会ったこともなければ話したこともないので
本当の人となりなんぞわかりはしないのだけれども
あんなに楽しそうに仕事をする人を私は見たことがない。
彼のプレーには喜びが満ち溢れている。
そして、あの大観衆の中であんなにも魅せるプレーを
いとも簡単にやってのけてしまうのだからおそれいる。

誰がナンバーワンの選手かという、
きわめて不毛かつ甘美な響きを持つ話題になると
人それぞれいくらでも語ることができると思うけど
結局のところ、リアルタイムでそのプレーに魅了された選手が
一番のお気に入りになるのだと思う。

過去の名選手を挙げていったらきりがないが
やっぱり今の私のナンバーワンはロナウジーニョだ。

今日は Bo Gumbosをずーっと聴いてました。
めちゃめちゃグルーヴィだね。

そして地震

人が寝ようとした矢先に地震が来ました。
私の部屋は、ギター×3ベース×2コントラバス×1チェロ×1ハルモニウム×1
さらにミキサーやらスピーカーやらというもはや楽器倉庫状態なので
大きい地震が来たときには本気で命の危険にさらされます。
音楽に集中できるのも、生活の基盤が機能していてはじめて
成り立つものなのでこのままずっと沈黙していていただきたいです。
では再び眠りにつこう。こえー

徳川家康の死因はてんぷら。グラミー賞2005

グラミー賞って一体何部門あるのってくらいいっぱいあるんですね。
なのでついでに最優秀サンプリング賞って作るべきだと思う。
元ネタへの敬意にもなるし、ネタをセレクトしたセンスも評価されるし。
サンプリングに関してはお金の問題とか絡んでくるのだろうけれど
そのおかげで名曲ができるんだから、もっとオープンにしてもらいたい。
ギターを弾く才能、曲を書く才能、ネタを選び組み立てる才能、
全部、同等に評価されてしかるべき才能だと思う。
そのかわり、まんま名曲サンプリングしてつまんないモン作ったら
ガッツリと説教されればいい。
生楽器アホほどいっぱい持ってるから、
サンプリングの元ネタになる音をフリーで
提供するサイトを作ったら人気出るかな?

今年のベストサンプリングソースはいわずもがなチャカカーン。

疲労する身体、充実する精神

現在、夜中の3時すぎです。こんな時間に起きている時点で、もはや不健康な生活なのだけれどもそれはさておき。身体が絶不調である。腰痛、風邪、花粉症、喘息がまとめてやってきておりちょっとした疾患展覧会である。アレルギーなら私にまかせろ。 が、精神は極めて調子がいい。なにより、曲がやばい。えらいカッコいい。自分達の曲を自分でカッコいいと思ったのは初めてのことだ。そうない。そして、この数日間いろんな人良好なコミュニケーションをとれたのも多分、プラスに働いている。 虚弱な私はきっとフィジカル面は、そうそう100%にはならないだろうからせめてメンタルは、いいコンディションを保っていたいものです。そのためには、睡眠と食事をきっちりしないといけない。この時間にこんな文を書いている場合じゃないのです。ただ、この時間にたべるご飯が世界で一番うまい。