潜れ潜れ | Kamakura delay

潜れ潜れ

スペイン坂ハイムーン。

音が前に出てくるバンドと、音がステージ内で完結しているバンドの差というものが

よーくわかった日でした。


見に来てくれた友人が言っていた事を、さらに考えてみた。


ライブハウスというものっそい大音量で音が鳴る場において

お客さんが全ての音を把握するのは、事実上不可能に近い。


この事を、どう利用するかについてしっかりと考えがあって

そこに向かって振り切れている音作りが出来るかどうかが鍵なのだと思った。


全ての音が聞き取れないということは

何か一つ、一番目立つ部分を全体を象徴する「シンボル的な」聴覚のポイントとして設定して聴かせるか

その反対に、「あえて把握させずに」膨大な質量でもって、圧倒する。


両者が高いレベルで共存するのが理想だが

そうそう達成可能なら日本の音楽はもっと世界に響いているであろう。


ライブハウスで色々なバンドを見て、後者の「圧倒的なエネルギー」的なアプローチのバンドは

沢山いて、それこそライブハウスの一番の醍醐味なわけでいつもコイツラすげーってなるのだが、

表現の突き抜け具合が、イマイチだった時の切なさというか「何がやりたいの?」という

同業者からみても「?」が出てしまうことが多々ある。元気不足。


次に、明確な聴覚のポイントを設定するタイプ。

まあ普通は歌だがそこに来ることが多いのだけれど、

この手のタイプは、殆どの場合「勇気不足」にてこじんまりと纏まった

良くも悪くも80点止まり的な、垢抜けなさに飲み込まれて消化不良になることが多い。

理由は簡単で、日本人のバンドマンを志すような男子の中に「歌の才能」を持つ人なんて殆どいないわけで

「うまく聴かせよう」的な、気持ちの悪いコピー商品のようなボーカルばっかりで

じゃあ、曲を凝って違いを出そうとか、そういう細かいカッコよさばかりを追求しすぎて

中心がドーンと構えた「太さ」のあるバンドが少ない。勇気不足。


どちらにおいても、技術の向上や、細かい部分の追求というのは「大前提」

それが出来ないのならば、人前に出てくる必要がない。

けれど、そういった部分は、まあ大事ではないというか呼吸をするのと同じくらい

ミュージシャンとして当たり前な活動なわけで、その上でいかに人間を乗せれるか。


その場凌ぎの「インスタントな」カッコよさってのは、すぐに飽きられる。


曲が良いって言うのであれば

一度聴いたら絶対に覚えてしまうくらいのメロディがなくちゃダメだと思うし、

ステージングが凄いというのであれば

向こう3日間くらいそのことしか思い出せないくらいの支配力がないと通用しないと思う。


じゃないと、今の日本で「バンド」がオリコントップ10に入るのなんて無理なのだろう。

ただでさえ、10代20代30代で、聴く音楽の断絶が顕著になってきてるのだから。

世代を問わず、皆が楽しめる曲を、青春アミーゴじゃなくてバンドマンの手によって

生み出したいじゃねえかよー。


音楽を楽しむ人達の触媒になりたい。