ライブの次の日は変なテンション | Kamakura delay

ライブの次の日は変なテンション

毎日を成田童夢くらいのテンションで駆け抜けたい。結果は残念だったね。


最近、ライブで対バンを見るときにメモをとっている。

編成、使用楽器、着ている服、照明、曲調、展開、曲のつなげ方、MCの内容、シーケンス、

曲ごとのお客さんの反応、客層、物販エリアの作り、ジャケやフライヤーのデザイン。などなど。


漫然と聞いていると、殆どスルーしてしまうような細かい情報もメモを取る。

(よほど、ずば抜けた面白さを持ったバンドでなければ

 もはや観客として楽しむつもりはない。つーか悔しいし。)


ステージの中に、情報量が多く込められたライブは必然的にメモの量も多くなる。

逆につまらないライブになると、「もう書くことねえな」で終わる。

昨日は3バンドしか見れなかったが、やはり力のあるバンドは情報量もあるし

なにより情報の方向性も、わかりやすく纏まっている。

纏まっていればいいという単純な話ではないのだけれど、アレもコレも的な混乱や

安っぽいエゴ全開のライブよりかは、何ぼか好感が持てる。


ライブ後に、ウチの曲風が好きですとデモCDを持っていってくれた男の方がいました。

ありがとう。

まだまだ話にならない下手くそな演奏でも、お客さんに伝えることが十分にできるというのは

とても心強い。

だからこそ、もっと多くのお客さんの前で演奏がしたい。

集客のために、できることをもっとがんばろうと思った。


話は変わるが(変わらないのだが)


何々に所属している自分ってカッコいい的な空気と

俺はわかってるんだ的な達観した底の浅さの二つのアレルギー体質なので

自分の中の年とともに硬化していく心と思考に、ときたま軽い眩暈を覚えます。


昨日のライブ前にストーンレンジのベースさんと話をして

「24才か…これからだね。」って言われて

当然自分でも「今が勝負の時」とか「ここでどれだけ頑張れるか」的な自戒は持っていたのだけれど

ある種、地力で生活を築いていっている同年代の連中へのけじめというか意地というか

まあ何でもいいのだけれど、その頑張ろうとする意志が「まわりの環境ありき」の追い詰め方に

なっていた自分に気付かされました。明日、夏休みが終わるから宿題やんなきゃみたいな。違うな。

ストーンレンジのベースさんは、前のバンドではギターで、動員も良い時では300人位

(同業者ならコレがいかに大変なことかはお分かりいただけるでしょう。)あるバンドだったそうですが

自分でアクションを起こして新しく結成したそうです。

これを「もったいない」と腐すか「すげえな」と思うかは、別にどうでもいいんです。

僕はどっちも思いましたから。


アクションを起こす/起こそうとする意志を、自分主体(わがままではないよ)のものに変えていけなければ

その時を楽しむことなど出来ないんだなって。

最近、まじめに頑張ろうとしすぎて、環境から動かされいることばっかりだった気がするよ。

身動き取れないってのは、その状況への甘えだよね。思考停止ですものね。

悪いことではないけれどさ、というか環境にはいやがおうにも対応していくしかないのだけれど。

その環境を変えるのは結局自分の力だから。


やりたいビジョンはある。

音にしなくてはまず伝わらない。

だから、まず音を作る。


寝たくても眠れない夜があるのと同じように

夢をみたくても見られない日々もある。

それでも目を瞑り 羊の数を数えるがごとく

栄光の日々までの時間をカウントしよう。


眠りの先が悪夢だとしても。

眠らなければ、明日が来ない。

願わくば、楽しい夢を。